ちょこっと帰っても [日々の雑記]
実家にて所用があり福井へ。
子供の頃と同じ急行電車仕様に塗り直された200形電車をみて、心が躍る!
新幹線は新幹線で心が躍るのですが、
何でしょう、産まれた時からずっと、家の前を往復しているこの車両、
例えば、子供の頃から実家で飼っている犬が、
ヨボヨボになっていても、帰省をすると弱々しくも僕に
バウ!と吠えかけてくれる感覚というか、
犬はセントバーナードの老犬というか、
宮崎ルパンのカリオストロの城に出てくるカールというか、
まあ段々妄想がススムのでこの位で勘弁しておくとして、
わかりますでしょうか…。
福井駅に行ったら、スーパーのイベントか、
おろしそばをその場で打って、茹でていた。
やっぱり食べてしまう。これだわ。
肝心の所用は、
以前のブログでもご紹介した実家の賃貸部分に、
テナントさんが入って頂く事が決まった為の改修工事の確認に。
大工さん、よろしくお願いします。
実家も竣工して5年が過ぎ、
さらなる愛情をかけてメンテをしていくことが必要になってくる時期。
東京への電車の時間まで、
不具合のあるところの手直しの打ち合わせをしたり、
駐車場にしているピロティの天井にかかるクモの巣を払ったり…。
高圧洗浄もかけたかったが、それは次回に。
住めば都、ではあるけれど、
東京の狭いアパートにいると、
廊下がある風景や、天井の高い部屋に豊かさを感じる。
帰省というには、
短い滞在だったけど、
ちょこっと帰っても、ふるさとだった。
ヒトが関わる/二つのデザイン展にて [日々の雑記]
午後1時の明治通り、北参道交差点付近。
夏休みが終わり学校の始まった9月の午後、授業を終えてから
外苑前のオリエギャラリーで開かれている、
若手建築家による東日本大震災復興支援・建築デザイン展へ。
展示されているプロジェクトを見ながら感じたコト。
10年位の時間をかけて行われた、実家の側での橋の架け替えを思い出す。
橋の架け替えの説明会から、
掛け替えによる補償の話、
既存橋の解体撤去、
仮設橋の設置、
工事による周辺道路の通行止めと整備の繰り返し、
工事の騒音、振動…etc
橋をつくっているのか、こわしているのか、
10年以上の時間が過ぎていき、
その間に、実家も近所の風景も、随分変わっていきました。
実家の家族も近所の方々も、
その10年間の変化する、
あるいは中途半端にかたちづくられる風景を見ながらの生活。
「新しい橋ができるまで」とはいえ、
その10年の間の変化の中で生き続けなければならない。
たかだか地方都市のひとつの橋の掛け替えだけでも、
その周りに生きる人や街に取って大きな変化、経過だと感じました。
そんな体験からの感想で持って語る事は失礼なのかもしれない。
震災による急激な変化、そしてこれからの復興への時間の経過。
瓦礫の撤去、整地、新たな都市計画の議論、法律や予算の壁。
部分的、パッチワーク的、場当たり的に進むかもしれない。
時間の経過や風景の変化、
世の中の移り変わりに人は晒され、翻弄されるでしょう。
写真は、学校の側で見かけたビルの改修工事で掛けられた足場に生命力を感じる。
震災による空間の変化に抗する都市計画的、建築的なデザインの大切さと共に、
復興という時間の経過に晒されるヒト達を、
包むような、
癒すような、
置き去りにしないような、
眼差しを持ったデザインの重要性を感じました。
同じく北参道にて。首都高速に包まれ、癒されているのか。
その後、乃木坂のギャラリー間へ移動。
アラヴェナ展へ。
地球の裏側につくられている建物の具体的な模型や図面があるわけでなく、
だけど、
そこで営まれているであろう人の生活や、夢、建築家の想いが
自分の心に刺さってくる展覧会。
が問われていると感じる秋の1日でした。
最後の写真は先日、代々木公園で行われたブラジルフェスティバルにて。
会場のステージやブースで行われているイベントとは、関係無しに、
太鼓を叩き、踊って、ヒトが集まり、関ってくる。
痕跡を残すこと/2011夏の福井で感じた事 [日々の雑記]
自分の生まれ育った街から建物が無くなっていきます。
かつて赤瀬川原平氏が提唱した「超芸術トマソン」なる芸術的概念がありました。
僕が中学生から高校生のころ、
「写真時代」に連載されていてちょっとしたブームだった気がします。
「超芸術トマソン/赤瀬川原平著」筑摩書房
実家に近い福井駅周辺部は帰る度に、
かつての家屋が解体され「空き地」が増えています。
空き地が増えるのに伴い、コインパーキングも増え、
「原爆タイプ」のトマソンもよく見かけるようになりました。
かつての福井市中心部の商店街のにぎわいや、連続した家並を覚えている僕は
このトマソンをどう受け止めたら良いのだろう。
メモリアルとして意図的、意識的なトマソンなのか、
停滞でしかないトマソンなのか。
マチのなかに空き地が増えた分、昔田んぼだったマチのまわり(郊外)は、
商業施設が建ち並び、結構賑やかになって、
ある意味バランスが取れているのですが…エネルギー保存の法則みたいです。
必要とされてないものを無理に維持しよう…と考えるのも無理があるかもしれません。
「二兎を追うもの一兎も追えず」…でしょうか。
実家から程近い、
幸橋の横っちょの川原に埋め込まれた、掛け替える前の幸橋の橋脚の一部。
昭和初期に作られて、
戦争や地震をくぐり抜けて残された数少ない福井の「遺跡」。
東京に出るまで思い出の多かった橋だから、
こういうカタチでも残してあるのはウレシイ。
でももう少し、カッコ良く、リスペクトされる整備の仕方もあったのでは…。
実家を設計して建て直したとき、
家を取り囲む、歯抜けのような空き地、スキマをどのように捉えたらよいのか。
そして自分が設計した建物がささやかながらも、
福井の街をあらたにつくる粒子の一つになりうるのか、
福井市の都市景観賞に応募するにあたり、
まとめたものをブログにのせたことがあります。
「毛矢町の家で福井の街を考えた」
http://saw.blog.so-net.ne.jp/2010-06-15
福井駅前に古くからある商店街でみたゴーヤのルーバー
ゴーヤの生命力と、年月が立った街並がつくる風格がいい感じです。
ノンビリと実家やその周りで過ごす事が多い分、考える事の多い帰省でした。
帰投/2011夏の福井へ(その3) [日々の雑記]
朝六時半、朝靄の福井を出発、
所用にて京都に立ち寄った後、高速にて東京に帰還する。
北陸自動車道にて滋賀県は木之本インターにて高速を降りて、
琵琶湖の西側(湖西)を通るルート。
柴田勝家と豊臣秀吉の合戦で有名な賤ヶ岳のチョイ手前、
琵琶湖のイチバン北側からの眺め。
国道161号線から、今津にて国道303号線に入り、
さらに京都へのびる古来よりの街道、鯖街道(国道367号線)へ。
よく手入れされた杉林のなかの古道を走るのは気持ちヨイ!
二十年以上前の学生の頃から、
京都に遊びに行くため、高速代を節約するため通った道。
いやそれ以上に、走るのが楽しい道だ。
川の対岸には古道が残る。
まだ涼しい時間、クルマもほとんどいない街道に、
休みも取らず京都に到着。
やはり鯖街道は、道が楽しいから1000年以上使われてきたのだ。
京都にて所用をすませ、京都東インターにて名神自動車道にのる。
京都はやはり暑かった…。
写真は大津SAより琵琶湖を臨む。対岸(?)の奥琵琶湖の風景とはエラい違いだ。
新名神、東名阪、伊勢湾岸道路を経て豊田JCより東名自動車道に。
旧来の名神〜東名ルートより空いてるのでは?との予想が外れ、
四日市辺りで渋滞スリヌケ…。
気温も上がり、ここからがきつくなる。
うーん京都にて、葛きりでも食べて、涼んでから出るべきだったかな。
東京から水上温泉:160キロ、
水上温泉から上越:135キロ、
上越から福井:270キロ、
福井から京都を経て東京:655キロ、
1200キロ余りの連続した風景。
覚えることは出来ないけれど1200キロの連続した日本の風景を
みているはずなのだ。
当たり前だけど、バイクで旅をすると、世の中が地続きであることとか、
同じようで同じ風景はないことを、実感する事が出来る。
夕方になりようやく涼しくなり、浜名湖に到着。東京に戻ってきた。
思い出とは「おもい」がはじまること/2011夏の福井へ(その2) [日々の雑記]
水上温泉からオートバイを走らせること5時間。
夕焼けに染まる見覚えのある交差点。
前回のブログで紹介した峠道ルートも、上越から乗った北陸自動車道も、
渋滞もなく路面もよく、気持ちよく走ることが出来た。
「お盆にかえる/2011夏の福井へ(その1)」
多少、暑かったですが…。
新しく履き替えたタイヤ(ブリジストンBT016)は、
帰省ツーリングのように結構な荷物を載せたときでも安定感があり
かつ乗り心地もよかった。
「再び、西伊豆を駆け抜ける」
あくる日は朝から、ちょこっとお手伝いしていたフリーペーパー、
fukuistの打ち上げバーベキューに三国サンセットビーチへ。
「fukuist編集室の独楽日記」
残念ながら6月号をもって休刊してしまいましたが、
編集長の池田の智さんはじめ、福井チームの皆さんに会う。
バーベキューに先立ち、道の駅三里浜にて、fukuistがUSTREAMにて配信する
「じゃみじゃみTV」の収録の模様。
そして三国サンセットビーチはダイヤモンドヘッド(!?)という浜茶屋へ移動。
「三国サンセットビーチ」
今年の夏休みは海に山にバーベキューだ。
fukuist編集室福井チームの皆さん、
短い間でしたがお手伝いさせていただき、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
サンセットビーチって横文字の名前ですが、三国の海水浴場。
確かに夕焼けがきれいな日本海。
子供の頃、ここで叔父さんに沖まで連れて行かれ、
泳げなかった僕は、浮き輪に必死に掴まりワンワン泣いた思い出がよみがえる(ToT)/
それがトラウマになり、大人になるまで泳ぎが苦手だったという…。
気持ちがよいビーチに後ろ髪をひかれつつも、福井市は片町に移動。
高校の同窓会に参加。
卒業以来の人、
当時は言葉を交す縁がなかった人…会えてうれしかったです。
高校時代、決して楽しい気持ちでは通学していなかった。
だけれども、
振り返るだけの「おもい」と「おもいで」がいっぱいあることを
確認できた夜だった。
お盆にかえる/2011夏の福井へ(その1) [日々の雑記]
8月12日、11時東京を出発。
今年もありがたく、夏休みが取れての、帰省ツーリング。
群馬県にある水上温泉にて、友人達とのバーベキューに参加するため、
関越自動車道へ。
やや渋滞ではあったが、2時間半程で到着。
バーベキューの準備が始まっていた。お待たせしてスミマセン。
2時間もバイクに乗った後のビールとバーベーキュー、
ウマいに決まっているのだ。
山間部であるがサンマも捨てがたい。
バーベキューをした利根川の河原はラフティングのスタート地点なので、
にぎやかだ。
東京を離れ、ココロもカラダも夏休みに入っていく。
翌13日は、のんびり起きて、スイカで朝食。
お酒を飲んだ翌朝のスイカはウマイ。
スイカはやはり、みんなで食べる方がウマい。
荷物をまとめ、本日の走行ルートを確認後、水上温泉を出発。
猿ケ京温泉へ抜け、三国街道にて苗場、湯沢を通り、
十日町、松代から上越インターへと至るルート。
135キロの行程はコチラ。
無心に、バイクを走らせていると、
距離はココロを癒してくれる。
旅は続く。
交差点を記録する/写真には旧いものも新しいものも等しく写る。 [日々の雑記]
天気が良ければ、
暑かろうが寒かろうが都心の移動はスクーターが基本だ。
写真はYAMAHAのBw's125。我が愛車デス。
一昨日7月27日の移動距離を集計してみると、
自宅〜渋谷の学校(6.5キロ)、渋谷の学校〜虎ノ門(6.3キロ)、
虎ノ門〜荻窪の事務所(17キロ)、荻窪の事務所〜自宅(7.7キロ)で
計37.5キロになった。
計算してみると、けっこうある。
渋谷の学校とか、荻窪の事務所とかに行って戻るだけなら、
自転車の方がむしろ便利なのだが、
学校やら打合せやら現場やら移動しながらとなると、都心はバイクだ。
電車も読書ができるからよいのだが、今日の流れで行くとバイクだ。
虎ノ門からの帰り道、交差点で東京タワーを見つけてカメラを取り出す。
震災で曲がったという話を、実際に確認。
直さないでいてほしい。忘れないために。
国道一号線沿いのどこかの交差点。雲がキレイ。
旧山手通りと246が交差する神泉町交差点。
上を行く首都高はいつでも工事中だ。それが東京のスタンダードだ。
山手通りから駒場東大前を通り、東北沢駅の踏切に。
ここも小田急線の地下化に伴って、もう長いこと工事中だ。
でも、何年か先工事が終わればここで立ち止まらなくなる。
井の頭通りに出て、環状七号線の大原二丁目交差点。
井の頭通りは環七まで片側1車線が3車線に大分拡げてきたけど、
今度は環七よりさきで、「混じり合う」状態が始まる。
環七と甲州街道との大原交差点を抜け、
方南通りに入って大宮八幡前にて停車。
ここまで来るとノンビリしてきた。とりあえず工事中じゃないし。
荻窪の事務所への近道にはいった、ある交差点。
ここでは一戸一戸の住宅がたまに、ひっそりと建て代わっていく。
先日、テレビのアナログ放送がデジタル波へ移行したときも感じたことですが、モノゴトは旧いものから新しいものへ移り変わるとき、
世界中が一度にガラリとはかわらない。
ユルイ時間の流れの中で、ポツポツと、
時には歩みを早めてワーッと、でもある時間の流れのなかで
ふるいものとあたらしいものが、混じり合いながら移り変わっていく。
これが、当たり前のことだと思う。
新旧が混じり合っていることが当たり前だからこそ、
新しいモノコトだけで構想された世界を前提に、
世の中をみることには無理があるし、
旧いモノコトだけで、世界を変えないで過ごすことは不可能だ。
……東京のいくつもの交差点を通過し、また止まりながら
そんなことを考えた。
そういえば、オペラシティにて
ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館で行われた、
「Tokyo Metabolizing」の帰国展も行われている。いってこよ。
最後の写真は3週間ほど前、新宿にて。
6月28日を記録する/祖母から聞いた福井地震 [日々の雑記]
昭和23年6月28日の16時13分29秒、
今を遡ること63年前。
生まれ故郷である福井県で大きな地震がありました。
今年94歳になる祖母から聞いた話です。
昭和20年の空襲で福井市街が丸焼けになり、
まだ3歳になったばかりの父親を抱えて、
上から落ちてくる焼夷弾にあたらない様に逃げ回った時から3年。
ようやく実家を再建し、ちょっと落ち着いてきた時期。
当時はサマータイムが導入されていて(まだ日本は占領中だったのです!)、
一時間早い17時13分、
祖父と共に裏庭の畑で夕飯の野菜を収穫中、突然の地震。
家の方を振り向くと、見る見る家が畑とは反対の方角に倒壊。
フェニックス通りに面した歩道で三輪車に乗り遊んでいた父親は、
間一髪、下敷きにならず、助かったとのこと。
ビックリしてビィビィ泣いていたそうですが。
倒れた家の中にいた曾祖父と曾祖母は、
布団屋だったので家のナカにいっぱいあった綿の間に挟まれて、
無事だったというウソのような話。
その後、フェニックス通りの向かい側のペンキ屋さんから火災が発生。
通りの向かい側は大変な状況に。
家族も無事で火災こそ免れたものの、家は全壊、
その1ヶ月後、今度は福井市全体が床上浸水になるような洪水が発生して、
またまた……。
一通り空襲や地震、洪水の苦労話を聞かせられた後、
「ご飯だけは、いつでもちゃんと食べとくんやざ」
「体だけは大事にするんやよ。体さえ健康であれば何とでもなるでの」
すごいシンプルですが、大事な教えです。
この日を忘れないために、
そして東日本大震災で犠牲になられた方々の安らかなることをお祈りし、
祖母から聞いた話を書き留めておきたいと思います。
初夏を観察する/ハラジュクヨヨギホンゴウユシマタカイドオギクボカンダガワ [日々の雑記]
日射しも、湿気も、ミドリもしっとりと力強かった、6月21日。
だけどなんとなく、
この青々しさを前に素直になれない、今年の夏至前日。
今日は移動の多い日でした。
9時より授業のため原宿の学校へ。
13時頃には次の移動のため、代々木駅へ向かう。
写真は、代々木駅近辺のガード下。
古いレンガの橋脚のザラザラ感、アスファルトの汚さ、代々木の街並みと、
キレイにミドリに塗装された鉄橋の清々しさのコントラストが気持ちイイ。
線路と建物を隔てるフェンスや塀の周り、
線路と線路の間、
道路と線路を隔てる土手、
踏切の周り、
その他、所有者や管理者の曖昧な所在のない、
ヒトが文明で埋め尽くすことが出来ない空間に映えるミドリ。
ミドリではないけど、線路の周りに敷設されたグニャグニャなパイプラインも
いい味が出ている。遠くに見えるNTTドコモのペラペラ感。
代々木から本郷、湯島と移動して、
再び代々木へ戻り、一旦豪徳寺の自宅に。
自転車に乗って、荻窪の事務所へ。
17時を過ぎた西日がまぶしい甲州街道、下高井戸付近。
首都高越しに、南のソラに湧きあがる入道雲。ガンバル1本の街路樹。
原子力であろうが、再生可能エネルギーであろうが、
生き物の様に電線のある風景は、同じだ。
普段、バイクによる移動が多いせいか、電車や自転車に乗ると、
速度や、それに伴う視線や視点が変わるので、いろんなことが観察出来る。
神田川に沿い荻窪まで移動中、高井戸付近にて。
この生命力に負けてはいられない。
ふくいジェンヌと共同作業/fukuist11号発送 [日々の雑記]
2ヶ月に一度のお手伝い、
フリーペーパーfukuist vol.11号の発送作業。
連載記事「ふくいジェンヌ」に登場した
笛kanaさんも作業に参加。
福井県は鯖江市出身のミュージシャン。
「笛Kanaのブログ」
福井県に縁がある人たちが集まっての作業、
fukuistの袋詰めを作りながらも話が弾みます。
その後、
ちょこっとだけ演奏してくれた笛kanaさん。
クラシックからジャズ、ポップスまで、リズム感が気持ちヨイ。
フルートはリズム楽器でもあるんだなぁ。
演奏はモチロン、フルートを吹く姿もステキだ。
笛kanaさんありがとうございました。
作業の場をお借りしている福井県のアンテナショップ、
「ふくい南青山291」の井上館長にも入っていただき、
みんなで記念撮影!
お疲れ様でした。
ふくい南青山291
福井と世界をつなぐフリーペーパーfukuistは6月15日発行、
皆さんのお手元に届きます。
設置協力店はfukuistのHPよりドウゾ!