最終列車を見送る/小田急線下北沢駅地上ホーム [日々の雑記]
小田急線下北沢駅が地下化される前日の3月22日、金曜日。
豪徳寺から新宿駅行きの最終列車に乗って下北沢駅に着き、
地上ホームに着く最後の経堂行きの終電を見送った。
撮り鉄の方々はモチロン、
いつもの乗降客、飲みに来てる人、便乗してる僕みたいな野次馬、
そして工事関係者等々で賑わう改札口。
小田急線と井の頭線が立体的に重なっているので、改札やホームを行き来するために、
階段を昇って降りて、また登ってを繰り返す、
自分が何処にいるのか分からなくなりがちな、まるで人生のような(笑)駅構内。
会社帰りのスーツ姿の方々、以外と多いぞカメラ女子等々、
皆さん、イロイロな思い入れを持って写真を、ムービーを撮りまくってました。
大学時代の同級生が2駅先の梅ヶ丘に住んでいたのを頼って、東京に出てきて20年。
街のイメージをそのまま凝縮したような駅がなくなると、シモキタをどう感じるんだろう。
その第一日目にこれから立ち会うのだ。
本来の線路用として使用されていたレールをリサイクルして、
ホームの上屋、その他構造物の柱や梁、あるいは線路脇の柵として
使用されているものを「古レール」という。
大正時代から戦後の高度成長期手前位までの駅によく使われている。
1927年に作られた下北沢駅も、その古レールの魅力がイッパイだ。
下の写真は井の頭線を支えるアーチ状の橋脚に加工された古レール。
おそらく幾度かの増築や改装によって、グチャグチャになってるけれども、
地上ホームの最後の日まで頑張った、上屋を支える片持ち支柱に加工された古レール。
以前レールの刻印を調べた時、1923年12月の製造印があった。
残すところは終電のみ…となって盛り上がってくる!
もうこれが見納めなのね(T_T)
ホームの喧噪に気を取られ、
意外とみんな写真を撮ってない井の頭線から小田急線への連絡通路。
迷路感というか構造物感、人工物感のなかに、汚さや騒々しさから感じる、
人間臭さが、愛おしい。
そして新宿からの最終列車を待つホーム。
だけど、すごかったのはホームじゃなくて、ホーム横の踏切だった!
踏切に溢れる人が、終電を見送ろうと集まってるのだ。
終電が来る前に、なんとか踏切を閉めようと交通整理する小田急の保線員さん達。
「轢かれるぞォ!」とか「アブねぇぞォ」とかの呼びかけに交じって、
「シモキタホームサイコー!」とか「踏切アリガトォー!」とかのアツイ雰囲気、
まるで千秋楽の、千秋楽のですね、往年の千代の富士のイチバンを待つかのような
雰囲気の中、電車がやって来たのです。
そして最終電車が行く。
踏切が開いた瞬間、終電を見送ろうと、どっと線路に流れ込んだ、下北ラブな皆さん。
けっこう感動だった。
その感動を一身に受け止めて、
「明日の始発までに、
地下化の工事を終えなきゃならんので、みんな早く出てってくれぇ〜っ!!」
と連呼し続ける、おそらく小田急のオジサン。お疲れ様です。
オジサンのカラダをはった説得に、結構スッキリ移動する。
南口へ至る急な階段。
南北を自由に通り抜ける通路がまだ未完成なので、これはまだ使うのかな。
この南口の階段前につく駅看板も朝には、新しい改札前に移動する。
サヨナラだ。
終電を見送ったので、当然朝まで過ごすことに(笑)
やはりといいますか、下北沢と言えばネバーネバーランドだ。
「出てってくれぇ〜っ!」おじさんの叫びもあってか、夜通しの工事も進み、
始発の頃には、こんな姿に…。
みんな叫んだ踏切も、
封鎖。
地下に潜った小田急へ至る大階段。深い。
新しい駅が出来るのはまだ何年か先とのことで、昨夜まで線路だったところが
コンコースになってたり、ホームの一部が使われていたりと、
この混じり具合、混沌具合は意外とまだまだ下北っぽい。
朝日の中で、新しく出来た「遺跡」をみるようだ。
オッサンも若い子も、下北沢が変化する瞬間に立ち会った一夜だった。
2013-03-24 15:23
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