痕跡を残すこと/2011夏の福井で感じた事 [日々の雑記]
自分の生まれ育った街から建物が無くなっていきます。
かつて赤瀬川原平氏が提唱した「超芸術トマソン」なる芸術的概念がありました。
僕が中学生から高校生のころ、
「写真時代」に連載されていてちょっとしたブームだった気がします。
「超芸術トマソン/赤瀬川原平著」筑摩書房
実家に近い福井駅周辺部は帰る度に、
かつての家屋が解体され「空き地」が増えています。
空き地が増えるのに伴い、コインパーキングも増え、
「原爆タイプ」のトマソンもよく見かけるようになりました。
かつての福井市中心部の商店街のにぎわいや、連続した家並を覚えている僕は
このトマソンをどう受け止めたら良いのだろう。
メモリアルとして意図的、意識的なトマソンなのか、
停滞でしかないトマソンなのか。
マチのなかに空き地が増えた分、昔田んぼだったマチのまわり(郊外)は、
商業施設が建ち並び、結構賑やかになって、
ある意味バランスが取れているのですが…エネルギー保存の法則みたいです。
必要とされてないものを無理に維持しよう…と考えるのも無理があるかもしれません。
「二兎を追うもの一兎も追えず」…でしょうか。
実家から程近い、
幸橋の横っちょの川原に埋め込まれた、掛け替える前の幸橋の橋脚の一部。
昭和初期に作られて、
戦争や地震をくぐり抜けて残された数少ない福井の「遺跡」。
東京に出るまで思い出の多かった橋だから、
こういうカタチでも残してあるのはウレシイ。
でももう少し、カッコ良く、リスペクトされる整備の仕方もあったのでは…。
実家を設計して建て直したとき、
家を取り囲む、歯抜けのような空き地、スキマをどのように捉えたらよいのか。
そして自分が設計した建物がささやかながらも、
福井の街をあらたにつくる粒子の一つになりうるのか、
福井市の都市景観賞に応募するにあたり、
まとめたものをブログにのせたことがあります。
「毛矢町の家で福井の街を考えた」
http://saw.blog.so-net.ne.jp/2010-06-15
福井駅前に古くからある商店街でみたゴーヤのルーバー
ゴーヤの生命力と、年月が立った街並がつくる風格がいい感じです。
ノンビリと実家やその周りで過ごす事が多い分、考える事の多い帰省でした。
2011-08-20 01:37
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